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中南米のギター ― 人種のるつぼ


ギターノート 2

 日本でクラシック・ギターが流行り始めたのは1970年代だろうか。その頃のレパートリーはスペインを中心とするヨーロッパ大陸のものが主で、中南米はおおむね傍流か、ポピュラー音楽の「ラテン」に近い扱いだった気がする(そのころ全盛だったボサノバがそうだ)。

  でもいろいろ探してみると、中南米にはとても豊かなクラシック・ギターの伝統があり、それがブラジル、アルゼンチン、キューバ、メキシコ、ベネズエラなど、それぞれの国でも多彩な展開があった。これをろくに知らなかったのはうかつだった(メキシコのM・ポンセやブラジルのヴィラ・ロボスなどはちょっと知っていたが)。

 アメリカ大陸のそれらの国々は、ヨーロッパ移民の人たちが作ってきた。特に中南米に移り住んだのはスペインとポルトガルの人たちであり、そこはもともと当時のギターの本場でもあった。帆船に乗って新大陸にやってくるとき、ギターは最適の手軽な楽器だったろう。木材と羊の腸(ガット弦)があれば比較的簡単にできる。長い船旅で、開拓先の村で、ギターはいつも、移民たちの暮らしを彩ってきたのだ。

 そうした彼らの開拓と暮らしの歴史が、中南米の音楽の歴史となる。
 だが西欧のアメリカ大陸入植の歴史は、「銃・病原菌・鉄」(J・ダイアモンド)による、先住民文化の残酷な破壊と征服の歴史でもあった。その血の記憶が、現在に至るまで、中南米社会を混乱させ、足踏みさせている呪いなのだ、と思ってきた。
 だがかれらの歴史は、北米大陸への入植者とはかなり違う道すじをたどってきたように思う。

 アメリカ合衆国を代表とする北米では、世界に先んじて「先住民保護」や「人種差別撤廃」という理想が語られてきた。しかしそれは、開拓者であり建国者である「白人」の優位の現実と意識が、つねに根底にあるからでもある。征服され隔離(保護)された先住民や、奴隷として連れてこられた黒人、準先住民のヒスパニックなど、そうした人々との共存は図られても、階層的な分離構造は残り続け、その葛藤と因襲が何度も否定されては蘇ってくる。

 それに対し、カリブ以南の中南米では、先住民のインディオ、入植者のラテン民族、奴隷として運ばれたアフリカの人たちが、幾多の悲劇を織り込みながら、人種の「るつぼ」や「サラダボウル」へと水平的に融合していったように見える。最初は血生臭く戦い、いがみ合ったが、やがて和解もし、互いに伴侶も迎えて融合し(メスティーソ)、同じ大地で泥にまみれて村や町を作っていった。 ― 中南米の音楽を聴いていると、そのような「混血」の歴史を感ずる。それはさまざまな人種、動物、そして死者までが集まって踊る、カーニバルそのものである。

 一方のアングロサクソンの北米は、先住民を駆逐・隔離したあと、黒人やラテンの労働力を土台に発展し、20世紀には世界中のドリームを集めたかのような発展と豊かさを謳歌した。他方で中南米は何世紀も、その日暮らしとお祭り騒ぎ、酒と麻薬、政治の混乱と経済の低迷から抜け出せないでいる。それは今でもあまり変わらない。でも、20世紀の優等生アメリカが、トランプ政権や人種問題でさらけだしたなりふり構わぬなれの果てを見ると、中南米の混沌は、近代世界が捨ててきた正直さでもある。

 しばらく、中南米のそれぞれの国のギターについても旅をしてみよう。

〔2020年5月初出〕